古代の福山市は現在の市の中心部のほとんどが海の中であり、芦田川流域は新市町、府中市あたりまで深く入り込んだ海で「穴の海」と呼ばれるほどでした。

古くから潮待ち・風待ちの港として栄えた鞆の浦は瀬戸内海の中央、布隈半島の先端に位置しており、万葉集でも大伴旅人の歌に詠まれました。

鞆の浦は仙酔島・弁天島などの瀬戸内海国立公園の島々の佇まいを今もなお残しているところで、仙人が酔うほど美しいと言われた風景を仙人になった気分で味わうことができます。

さて、江戸時代に入り、1619年水野勝成が備後10万石の領主となり3年後に福山城を築き、「福山市」と名付けられたようです。

1889年の市町村制により福山町となって、地方行政の中心的役割を果たし、1891年山陽鉄道開通などを契機にまちの基盤が形成されました。

戦災による大きな被害も市民の復興意欲と郷土愛によって、土地区画整理事業を経て、今の近代的な市街地が形成され古くから繊維産業を基盤としてきましたが、1961年、世界最大とも言われた製鉄所の立地決定により、重工業主体の産業都市へ転換され、瀬戸内海の臨海工業都市として脚光を浴びることになりました。

1993年には福山地方拠点都市地域の指定を受けさらには、1998年には中核都市へと移行、移譲された権限を活用し、市民サービスの向上、自主・自立のまちつくりを進めています。

2003年に内海町、新市町、2005年には沼隈町、翌年には神辺町と合併を重ね、今では市域約518平方キロメートル、人口約47万人を有する中国地方では4番目の都市となっています。

このように都市の成長とともに21世紀にさらなる飛躍を遂げるため、福山市は備後地域の中核都市として「人間環境都市」を基底に「にぎわい しあわせ あふれる躍動都市~ばらのまち 福山~」を将来都市像として位置づけその実現を目指しているところです。

また2011年に開学した福山市立大学は、地域に支えられながら地域の発展を探究すると同時に地域の発展に寄与する人材育成を目指す公立大学です。

広く市民にも一部の施設が一般公開されており、大学としての個性と特色を明確にしているようです。

そんな福山市のアクセスですが、市役所本庁の所在地を掲載しておきましょう。

◎福山市役所・・・・〒720-8501広島県福山市東桜町3番5号
・JRの場合、「福山」駅下車 徒歩8分

なお、いずれの場所も車で行くことは可能ですがここでは簡略化していますのでご了承ください。